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[2021年正月号] 年頭のあいさつ



新年あけましておめでとうございます

平素のご厚情を感謝し皆さまにとりまして実りある素晴らしい一年になりますよう心よりお祈り申し上げます

 昨年は新型コロナウイルスに世界中が混乱の渦に巻き込まれましたが、今年こそはコロナ禍の収束を願うところです。

 なお、図書館友の会は、昨年に引き続き、菊池の歴史と文化、郷土の魅力を発信し、図書館の活動を支援してゆきます。

 今年もよろしくお願い申し上げます

       令和三年 元旦     菊池市図書館友の会 代表 坂本敏正


          歴史文化遺産「古代山城・鞠智城」

                                坂本 敏正

 新年を迎え、郷土の歴史文化遺産である「古代山城・麴智城」について、思うところを述べてみたいと思います。

 白村江の戦い(663年)として知られていますが、日本は百済の援軍として朝鮮に出兵しましたが 新羅と唐の連合軍に完膚なきまでに敗れます。

大和朝廷は 新羅と唐の連合軍の逆襲に備えるため 防衛策として国内にいくつもの山城を築きました。その一つが鞠智城です。この城には守りを固めると同時に 大宰府の後方支援として兵站基地の役目もありました。これらの考古学的検証については諸説あるようですが 詳しくは学者や研究者に委ねることにします。

 昭和42年から平成へと 発掘調査が進み 貯水池の他建物跡・百済系菩薩立像などが発見され、八角形鼓楼(写真)・兵舎等が復元されています。なお その地名は 奈良時代「好字令」の発令(713年)により「菊池」という瑞祥地名に改名され、それまで(くくち・鞠智)と発音されていたのが、次第に(きくち・菊池)となっていったと推察されています。

 歴史公園の広さは 55ヘクタールもあり、 そこに復元されている菊池の名をもつ「古代山城・鞠智城」ですが、現在の所在地からすると、その面積の約90%が山鹿市菊鹿町 10%が菊池市となっています。

 こうなった背景にあるのは、昭和30年の菊池郡と鹿本郡の村同士の合併があります。この時 菊鹿町(当時は村)が誕生、この合併によって「鞠智城」の所在の殆どが菊池郡から離れ、鹿本郡 菊鹿町となって、今日では“山鹿市と菊池市にまたがる鞠智城”といわれるようになりました。

「鞠智城」の正門である堀切門と深迫門は 菊池市木野にありますが このことは余り知られていないようです。

 “温故創生”という理念のもとに綿密な発掘調査と保存整備がなされて今日に至っている「鞠智城」。県は 菊池市・山鹿市と一体となって この歴史公園を国史跡から国特別史跡への格上げを目指してきました。これが実現することは、菊池・山鹿市民の願いであり、私達市民は、郷土が誇る歴史遺産として「鞠智城」についてより深く学び、これからもしっかりと守り支えていきたいものです。




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