熊本・菊池の歴史アラカルト (7)
古代菊池川流域は百済文化圏 ②-「江田船山古墳」の被葬者たち
堤 克彦(熊本郷土史譚研究所所長・文学博士)
『東アジアと江田船山古墳』(雄山閣)
前号で「江田船山古墳」の被葬者は百済王族系であり、最初「先祖の墓(のある山)」の「先山」(ソンサン)が同じハングル音の「船山」(ソンサン)の漢字に変わり、それを和音で「ふなやま」と読んだのではなかったのかとの自説を紹介しました。
その根拠が右の「三代の被葬者とその副葬品」の図です。これらの副葬品は韓国公州にある百済の「武寧王陵」と同系列のものとされています。
そのような百済王族系の被葬者がなぜ玉
名郡和水町(旧菊水町)の「船山古墳」に葬られているのでしょうか。おそらく4世紀頃に百済本国から百済王族系の人々が菊池川下流域の玉名一帯に集団で移住して定着、百済国の地域支配制度の 図③ 江田船山古墳の副葬品にみられる 「檐魯」(タムロ)の一つとして「百済 三相・三人の被葬者(縮尺不同)
候国」(支国)を設立、これらの人々に 『東アジアと江田船山古墳』(雄山閣)
よって菊池川 流域に百済文化が持ち込ま
れ、「百済文化圏」が出来上がっていたと推測しています。
玉名では多くの古墳から豪華な馬具・装身具類が出土し、山鹿では右の「弁慶が穴古墳」の壁画「船上の馬」のように、海を越えて駿馬が搬入され、さらに菊池の米原台地の「鞠智城」は百済式山城様式の技法で築城され、その跡から百済立像・百済蓮華文軒丸瓦なども出土しています。 弁慶が穴古墳「船上の馬」
また菊池川流域には、平安頃に成立したと思われる「長者伝説」が数多くあります。そのうち玉名の「疋野長者」は製鉄(小岱山製鉄遺跡群)、山鹿の「駄原長者」は牧馬(騎馬・運搬馬の飼育)、菊池の「米原長者」は水田開墾(「茂賀の浦」の耕地化)が有名です。「疋野長者」と「米原長者」は日本古来の「炭焼長者」伝説をもとにしていますが、いずれも百済系の先進技術に関係するもので、単なる「長者伝説」とは思えません。
最近「日本菊池遺産」に指定された菊池川周辺と米作り文化の背景には、以上のような百済王族系の一族による「檐魯」(タムロ)、即ち「百済侯国」(支国)の影響下で普及した菊池川流域の「百済文化圏」の存在が大きく関係していたことは見逃してはならないでしょう。(禁無断転載・使用)
【追加解説】
1、被葬者の概要と特徴
「江田船山古墳」が被葬者については、多くの研究者がその副葬品の特徴から「百済系王族」の人物であるとしている。その一人白石太一郎説に、自説を追加しておきたい。
(1)被葬者三代説(白石太一郎説)
①第一代被葬者-五世紀中期の「第一期渡来人」(応神期 王仁・阿知使主)の時期
・副葬品は古相の遺物-金銅製帽冠・長型垂飾付耳飾・帯金具・鉄製武具(短甲・剣が主流)・馬具(金銅張鏡板付横轡)・百済系陶質土器など
②第二代被葬者-五世紀末期の「第二期渡来人」(継体期 百済今來漢人、技術集団)の時期、百済系王族として大伴氏に属す。
・副葬品は新相の遺物で、広帯式金銅冠・短型垂飾付耳飾・金銅製飾履・鉄製武具(短甲・大刀が主流)・大刀銘(直刀・銀象嵌)・馬具(鉄素環鏡板轡)など
③第三代被葬者-六世紀前半の「第三期渡来人」(推古期 仏教・儒教、飛鳥文化)の時期、百済系王族は大和政権(但し百済系天皇)の配下
・副葬品は最新相の遺物(狭帯式金銅冠・金環)など
三世代の被葬者について、具体的に図表にすればつぎのようになる。
上段 一代被葬者 中段 二代被葬者 下段 三代被葬者
図③ 江田船山古墳の副葬品にみられる三相・三人の被葬者(縮尺不同)
『東アジアと江田船山古墳』(雄山閣)・『シンポジウム 江田船山古墳』(菊水町教育委員会)より作成
2、江田船山古墳の副葬品
3,五世紀末期の「第二代被葬者」の副葬品の特徴
(1)五世紀の百済王系譜
①百済21代「蓋鹵王」(コウロ、武寧王の父・加須利〔カスリ〕君、在位455~474)→22代文周王→23代三斤王→24代東城王(末多王〔マタ〕、武寧王の異兄・暴君)を経て、倭国と関係の深い25代「武寧王」(島〔斯麻〕君、在位501~523)である。
②五世紀末期の「第二代被葬者」の直前は、百済21代「蓋鹵王」(コウロ、武寧王の父・加須利〔カスリ〕君、在位455~474)の治世の時期にあたる。
(2)副葬品の種類と大刀と象嵌の特徴
①鏡(6面、中国製銅鏡5面+仿製鏡1面)・冠帽(百済武寧王墓からも出土)・耳飾り(朝鮮系)・帯金具(中国系)・沓(百済武寧王墓からも出土品に類似)・馬具(大陸的騎馬習慣)・鎧・大刀(百済・朝鮮半島製)・須恵器(百済系陶質土器)・象嵌(大陸系)の大刀→百済系・百済経由の副葬品→被葬者は「百済侯王」と推定される。
②小田富士雄説によれば、副葬品の大刀や象嵌の大刀は百済・朝鮮半島製としている。
以上のように、「江田船山古墳」の三代の被葬者の副葬品は、すべて百済王族系のもので、百済本国の王墓の副葬品に酷似しているのが特徴である。
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