[2021年6月号] 菊池の文学碑

更新日:6月1日

菊池の文学碑

菊池市菊池神社に隣接する菊池公園の高台に、菊池に縁(ゆかり)のある文学関係者の碑が、数基たてられています。


徳富蘆花文学碑・徳富愛子女子髪塚


徳富蘆花 

明治元年、水俣生れ 小説「不如帰(ほととぎす)」など明治大正期の自然主義の小説家。

戦前の思想家ジャーナリスト徳富蘇峰は、蘆花の兄

徳富愛子

蘆花の妻 徳富愛子は、菊池町隈府の生れ、東京で教師をしていて、蘆花と出会い、結婚。

絵画、俳句、文学に長じて、蘆花の文学活動を支えた。蘆花の「不如帰」に愛子をモデルにした隈府町の情景描写がある。


荒木精之文学碑

 明治40年阿蘇郡長陽小学校長荒木民治郎の長男として生まれる。 

 精之は、郵便局勤務を経て、高検に合格し、日大法文学部入学。文芸部に所属し、石川達三、中山義秀、川端康成、林房雄らと交流。

 父が創立し、義母スエヲが継承した隈府女子技芸学校(後の隈府女専 現在の菊池女子高等学校)で教師をしながら

作家活動。昭和13年「日本談義」を創刊。菊池一族関係、神風連、阿部一族、小泉八雲、高群逸枝などの史実・史跡を書に著し、碑に残す。熊日社会賞、熊本近代文化功労賞を受賞。昭和38年 熊本県文化懇話会、昭和45年 熊本県文化協会を設立す。昭和56年没。


嶋田磬也(きんや)歌碑   

明治42年熊本市内生れ。独学で、主婦の友社募集「地上の星座」主題歌(川原鳩なら)一等入選を機に、ポリドール所属。以後テイチク、東芝に専属し、作詞家として「湖底の故郷」「裏町人生」「夜霧のブルース」「白虎隊」など多くのヒット曲の作詞をしています。

龍門ダム広場に「湖底のゆりかご」碑。




渋江晩香彰徳碑                

渋江公木(号 晩香)

渋江家は隈府町にて、江戸中期から16

0年余、代々家塾を主宰する学者一族。晩香は渋江公豊(号 紫陽)から六代目。

晩香は、菊池神社創建(明治3年)とともに「司掌」、官幣社昇格(明治11年)とともに、「禰宜」を拝命、明治41年「宮司」昇格する。

学校制度始まる前年、明治4年中等教育機関として私塾「遜志堂」を開塾し、以後35年間、菊池の教育に尽力する。(塾生1500人超)

明治37年藍綬褒章授与さる(72歳)

大正3年82歳で没す。


(注) 文学碑の説明は、堤克彦著 「郷土史譚100話 菊池」を参考にしていますが

    詳細は井藤の責任で記述しています。














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