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[2022年09月号] 古典への誘い「方丈記」



古典への誘い「方丈記」

行く河の流れは、絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみにうかぶうたかたは、かつきえかつむすびて、久しく泊まる事なし。

 鴨長明の作になる「方丈記」は、平家物語と同時期の作品であり、冒頭の一節は、国語(古典)の教科書で学んだか、すくなくとも、受験勉強では必須の文献だったと思います。

平安時代末期、朝廷と平氏、源氏が三つ巴で争った戦乱の時代に、鴨長明は生きた人です。

歌人としても、当代一流の歌人で、源実朝と対面したことが、吾妻鏡に記されています。

 「方丈記」は、人生が有為転変であり、無常の世であるという長明の思想哲学を著しています。

 方丈記に記載されているのは、京の都を襲った数々の大火、地震に見舞われる庶民の姿です。長明はそれらを、伝聞としてではなく、直接自分で出かけて見分したことを書いているのです。非常に貴重な記録文学とも云えるのではないかと思います。

 例えば、安元三年(1177年)京の大火の記述は、「風激しく吹きて静かならざりし夜、戌の時ばかり、都の東南より火出で来て西北に至る。果てには、朱雀門・太極殿・大学寮・民部省などまで移りて、一夜のうちに塵灰となりにき。・・・」というような精密な描写が続くのです。

 治承四年(1180年)には、平清盛が一時今の神戸、福原へ都を移した福原遷都が発せられ、都の人々がとまどう様子、住む人がいない貴族・公卿の屋敷がたちまち荒れ果てていく様子が、克明に記されています。

 その翌年、養和元年~二年(1181年~82年)の大飢饉で、人々が飢えや疫病にて死にゆくさまが描かれています。

「母の命尽きたるを不知ずして、いといけなき子のなを乳を吸いつつ臥せるなどもありけり」

高僧が供養した、京の一地区だけでも死者は、4万2千三百人余りとあります。

 元歴二年(1185年)の大地震の描写は、平成の阪神淡路大震災を思わせるほどのリアルな描写です。

 「をビただしく大地震振ること侍りき。そのさま世の常ならず。山はくづれて河をうずづみ、海はかたぶきて陸地をひたせり。土さけて水脇き出で、巌われて谷にまろび入る。

なぎさ漕ぐ舟は波にただよひ、道ゆく馬は足の立ち処をまどわす。

都のほとりには、在々所々、堂舎・塔廟ひとつとして全からず。」

 平安末期から鎌倉時代へと、怒涛の政治と争乱の時代に、鴨長明は、一流の知識人でありながら、政治にも、世事にも背を向け、方一丈の草庵に籠って、鋭い観察眼にて、無常の世に翻弄される庶民の暮らしを書き残したのが、「方丈記」です。

没年推定62歳(建保四年 1216年)

 800年後の現代にあっても、鴨長明の方丈記の世界が、全く今も同じように繰り返されています。 

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