エッセイ 「デジタル時代の読書」 井藤和俊 皆さん 明けましておめでとうございます。
新型コロナウイルスとオリンピック・パラリンピックの話題に明け暮れた昨年でしたが、今年こそは、コロナ禍の不景気を脱して、みんなが幸せを実感できる年になりたいものです。
さて、国は、デジタル化を、経済成長の柱と位置付けて、行政や企業活動はじめ国民の私的生活、家事・買い物・乗り物・旅行・娯楽すべての面に及ぶデジタル化を進める考えです。そのツールは、私たち庶民には、主にスマートフォンが用いられます。
若い人たちは、スマートフォンを器用に使いこなしています。そこで聞くのは、「新聞は読まない。本は読まない。スマホで十分」という声です。確かに、情報は早く、何でも調べられます。スマホで電子図書も読めます。
しかし、若い世代が、新聞を読まない、本を読まない世の中で良いのでしょうか?
スマートフォンはあくまでも、情報のツール・道具です。
その点、 新聞は、情報の速さと量ではスマートフォンに及びませんが、編集過程で精査されていること、日時をかけた調査報道、論評が持ち味です。
また、書物は、研究者、専門家が丹念に資料に基づいて書いています。他の学説など比較検討して、自分のオリジナルな説を展開します。出版社も、精読します。
スマートフォン、新聞、書物は、それぞれ役割があり、持ち味がありますが、しかし、若い人たちが、新聞、書物を読まないことは、歴史と文化の継承の観点から、残念なことです。
新聞、書物を読まないからと言って、社会人として特段不自由するわけではありません。逆に新聞,書物を読んだからといって、何か利益があるものでもありません。
しかし、世代として考えると、その違いは大きくなります。
世の中の進歩は日進月歩です。文化の担い手になる世代が、5千年の歴史を学ばず、哲学を持たず、時の経済、政治の僕(しもべ)に留まるのか、それとも、未来の人類の生き方を創造する先駆者となるか。答えは自ずと明らかではないでしょうか。
図書館は、古代エジプトの時代から、その文化を今に至るまで残していることは、図書館の役割は何かということを、如実に示しています。
菊池市の図書館は、菊池市の歴史と文化を後世代に残す使命があります。
なお、AIについては、功罪半ばするものがあり、まだ議論は不十分です。後日の課題です。
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