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[2023年2月号] 追悼「渡辺先生と私」

更新日:2023年2月1日


 一昨年亡くなられた石牟礼道子氏の生涯の支援者でもあった渡辺京二氏ですが、相次いで、熊本が生んだ独創的な思想家であり社会運動家でもあった二人を亡くしたことは残念です。

その渡辺京二氏を側で支えた岩根美香さん(菊池市図書館友の会会員)に渡辺京二氏の追悼の辞をお願いしました。

     熊本日々新聞に毎週金曜に連載されている渡辺京二氏の「小さきものの近代」

         (亡くなられrる前に完成した原稿を掲載)  編集部

  「渡辺先生と私」 岩根美香

(自分の未熟さを一顧だにせず)昔から人を芸術作品のように見てしまう癖がある。

 掛け値なしに、渡辺京二先生はその恐ろしいほどに優れた知性も、豊かで高い精神性も、若き日の水俣病運動や晩年の思想家としての生き方も、超一流でした。

 もう十数年以上も前、拙宅の敷地内にて小説の一ページを拾った事に端を発した渡辺先生とのご縁は、石牟礼道子資料保存会のお手伝いに始まり、2018年二月に石牟礼先生が天界に召された後は、かつて石牟礼先生とご一緒なさった場所を今一度見て廻りたいとの強いご希望で、その多くは県内でしたが月に三~四回のペースで去年の夏前まで運転手として終日ご一緒でした。(実はこっそりインスタにあげています)

 『肩書のない人生』のあとがきには名こそ伏せてあるものの、ご存じの方々には私だとわかる記述があり、嬉しくて沢山買い込み、親戚・知人に配り、こんな高名な先生を事故にでも遭わせたらどうする!?とかえって心配させ藪蛇でした。

  

 やはり言葉に対する態度や比重の違いとでも云いましょうか、良い余韻を感じる言葉を日常会話の最中、数多く聴けた事は、本当に望外の喜びでした。


長州生まれで先生の著作『神風連とその時代』を『じんぷうれん』と発した私に『し』と澄むんだよ、と『澄む』という清らかな言の葉を用いるその感性。


西欧の宮廷文化、騎士道精神をお話し中、ふざけて

「だから貞操帯が流行ったのですね。奥方が信用できなかったのでしょう。女は狡賢いですもんね。」 

「そうかね?女性は気高いよ。」

現代のこの日本で女性を気高いと表現できる超絶技巧、且つ絶滅危惧種。


石牟礼先生のご自宅の処分の件で十年振りに水俣市を訪い、水俣川を目にして

「水俣の人達は、外から来てわやって、さぞ迷惑だったろうにな

と、一言詫びから入られた、その深い人生哲学。


「(菊池市在住の陶芸家)松竹さんも、吉田さんも、辻さんも、円ちゃんも、皆な渡辺先生に読んで頂くことを励みに文章を綴っておられるそうですよ。」

「石牟礼さんも、そう言っていたよ。」

後に辻さんが、「それはレアなご発言だよ」と。


「石牟礼先生も、渡辺先生も、人の何倍も濃い人生を歩んで来られましたね。」

「僕は、ただ本を読んできただけだよ。」

壺渓塾のご講演でも塾生を前に『一生書生』とお話され、見事に貫き通されました。


2019年十一月日航ホテルにて開催された渡辺先生の

『卒寿を祝う会』では「人生で大事なことは人との出会いだ!」と仰っておられました。

五十も過ぎ、心からそう思います。


石牟礼先生が亡くなり、先生を励ますため、坂口恭平さんや、熊日の浪床さん、橙書店の田尻さんが先生に文学講座を依頼し、計十回程度開催なさった、あれは何回目だったでしょうか。


 講座後、いつものようにご自宅までお送りする折、白川の背後に眼を焼くほどの大きな夕陽を見た途端、もう随分昔にやはり未熟な弟子の私と名高い先生という今と全く同じ立場で夕陽を見た気がして、別れた後、涙が止まらなくなりました。

 運転中、信号が青に変わると「ゴー!」と綺麗な発音でよく仰り、あまりにも頻回なので先生がお亡くなりになったら、きっとこのことを思いだすだろうな良くない予感におびえてたこともありました。

 先日たまたま読んだユルスナールの短編『老絵師の行方』に中国の老絵師と弟子のことが書かれており、やはり師が弟子に「―行こう」と言って物語が終わり、それがまるで先生からのメッセージのようにも思われ、救われました。

 その弟子は自分の血が師の衣服を汚さぬよう、前へ一跳びしてから役人に腹を切られたとありました。

 私にそのような気構え、心構えがあったでしょうか。

 来世でまたお目にかかれるまで精進します。             


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