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[2023年3月号] 追悼・渡辺京二氏

                              井藤和俊 

 渡辺京二氏が、昨年末亡くなられた。

渡辺氏は、熊本が誇る近代史をベースにした一大思想家でした。

彼の思想の骨格は、徹頭徹尾、庶民の立場にたつことでした。

それは、石牟礼道子と同質の思想性です。彼女もまた熊本が誇る土着の思想家で、海をも含む自然界の生き物の目をもっていました。

二人は、水俣病をめぐる戦いで結ばれ、生涯の伴侶・同志でした。渡辺氏は石牟礼道子を深く理解し、私生活含めて支えていました。(誤解なきよう願いたいが、いわゆる「夫婦」関係だったのではない)

 その渡辺氏の思想は、『逝きし世の面影』『小さきものの近代』という著書で見ることができます。

 江戸時代は、士農工商の身分制のもと、武士が民百姓を虐げ、搾取していて、百姓は、人として生きることができず、貧困にあえいでいたという捉え方が、いまでも、ごく普通の人々の認識、通念です。

 渡辺氏は、江戸時代末期の外国人の日本人とその生活を記した報告書、手紙、日記類から、実はそうではなく、江戸時代の百姓や庶民の暮らしは、その村内では自治があり、子供は大事にされ、平等、公平が大事にされていたことを、明らかにしています。

だから、明治維新とその後の富国強兵は、そのような農村共同体を解体し、商品経済のもとに組み込み、個人の上昇志向(立身出世)を解き放し、そのような社会の変動について行かなかった、行けなかった者が、社会の底辺として、村落共同体の原型を維持し、日本全体を支えてきたと言いいます。

 このように、庶民の生き方に価値を認める思想は、吉本隆明、谷川 雁などと、根は共有されています。

 知識人が大衆を啓蒙し、世の中を変えて行くという常識的な考え方の対極に位置する思想の骨格です。言い換えれば、知識人は知識人として、己の専門性を徹頭徹尾突き詰めることで生きるしかなく、下手に大衆を己の思想で啓蒙しようなどと自惚れるなと言うことでしょう。

考え方はわからないでもありませんが、実際にそのような生き方ができるのかは、難しいところです。

とにかく、そのような先駆的な思想家を失ったことは、残念です。 合掌


追記 『小さき者の近代』は、現在も、熊本日々新聞の毎週金曜に連載されています。

亡くなる前に書き上げていたのです。その前半第一巻は、既に書店で販売されています。




 



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