「図書館の日本史」紹介 著者 新藤 透 菊池市中央図書館 蔵書
図書館の日本史(1) 投稿者 井藤 和俊

図書館っていつからあったの?
名称は異なっていても、図書館に相当する<書籍を集め、読み、保存する術と入れ物>は、なんと飛鳥時代、聖徳太子の時代からあったようです。<ようです>というのは、文献としてはないが、状況証拠はあるということです。
遣隋使やのちの遣唐使が、中国(隋・唐)から膨大な仏教、儒教、史書等の書物を持ち帰り、写本し、それらをもとに、
十七ケ条憲法を制定し、大化の改新を断行大宝律令を定めていることを考えれば、それらの書物が関係者全体に共有され、保存されていたはずであり、それが図書館の始まりでしょう。
新藤 透氏の「図書館の日本史」は、このような飛鳥時代にさかのぼる日本の図書館の
歴史を、丁寧に教えてくれていますが、そのことが逆に、現代の図書館の役割、重みを教えてくれました。
奈良時代の図書館~図書寮~
奈良時代は「大宝律令」「養老律令」といった法令と官僚による統治、天皇中心中央集権的な政治が目指された時代です。書籍や文書は、律令によって規定された図書寮(ずしょりょう)が国家として管理します。
図書頭(ずしょのかみ)のもと書写手(写本作成)ほかの筆、墨、紙の制作の技術者、
カビ、虫食い防止の維持管理者、女官の図書出納係の書司が配置されていました。
図書寮には、皇族、上級役人(貴族)に閲覧、貸出が行われていました。
図書寮とは別に、各役所に政務に必要な書類を保管する「文殿」(ふどの)と呼ばれる書庫がありました。
大宝令によって、官僚養成のため、首都奈良に「大学」、地方の国府に「国学」が置かれ、学生のための蔵書があり、貸出は禁じられていましたが、閲覧は自由でした。目録も
整備されていました。なお、寺院には大量の仏教書を保存し写経する「経蔵」「写経所」が設けられ、貸出も行われていました。
また、有力貴族には、大量の蔵書をもつ者がいて、そのひとり石上宅嗣の「芸亭」(うんてい)は、一般に公開された図書館として知られていました。
平安時代の図書館~私的図書館~
平安時代になると律令体制が綻び、図書寮は機能しなくなり、大学の経済的基盤である「学料田」が貴族の荘園に横領され、衰退してゆきます。
代わって皇族や有力貴族の子弟の教育施設である「大学別曹」が設けられ、私的図書館となってゆきます。中でも藤原氏の「勧学院」が有名です。
貴族の役職の世襲化が進むとともに、学問もまた世襲化され、それぞれ私設図書館を開設します。
菅原道真を生む菅原家の「紅梅殿」、大江匡房、大江広元を生んだ「江家文庫」などの
私設図書館が有名です。
また、当時の貴族は日記を遺しています。それは、日々の出来事を記すのみならず「先例・故実」「朝廷の儀式」「政務の行動規範」といった公的記録となり、代々受け継がれてゆきました。そのような家系を「日記の家」と呼ばれるようになりました
有力貴族たちは、日記とともに、書籍を蒐集しています。特に摂関家を独占している藤原北家の一族は藤原道長を始め、息子頼道、後の代の藤原頼長らは、日記とともに、膨大な書籍を蒐集しています。頼長の「宇治文庫(うじのふみぐら)」はその規模や防災は他に類をみないものでした。
これらの私的図書館の書籍は、一族の関係者の閲覧貸出に留まらず、皇族や有力貴族に広くネットワークを張り巡らして蒐集されています。
(以下次号4月号に続く)
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