本の紹介「古文書が語る近世農村社会」 著者 大舘右喜 吉川弘文館

「小さきものの近代」渡辺京二氏の指摘
一昨年亡くなられた熊本が誇る近代政治思想史家 渡辺京二氏の著作「小さきものの近代1」に、「百姓が武士に虐げられて、年貢を納められない者は拷問などで責められていたとの通念が流布しているが、実際の江戸期の百姓は、個々の百姓ではなく、その「ムラ」が年貢を請け負っていたので、「庄屋」が、その責を負っていた。ムラ(コミュニテイ)が百姓を守っていた」との見解が指摘されていたのが、私の記憶に新しい。
そのことを、古文書等で、実証しているものがあれば、と思っていたところ、菊池市立図書館に表記の「古文書が語る近世農村社会」という新刊書を見つけました。
「旗本内藤家と須恵村農民との争い」事例
その「第二章 貢租をめぐる旗本と農民の抗争」という章は、旗本 内藤家(知行高560石余)の知行所「武蔵国比企郡須江村(現 埼玉県比企郡鳩山町)」における旗本 内藤家と、須恵村の先納金(後述)の肩代わりをした須恵村の修験「正蔵院・宮本坊」との安永2年(1773年)から寛成10年(1798年)25年の争いの記録・解説が、先の渡辺京二氏の見解をほぼ裏付けるものとなっています。
なお、徳川氏将軍家直轄の旗本とその知行地の名主との争いは、地方の大名の徴税を担当する家臣とその村の名主との関係に準えることが出来ると思われます。
旗本は窮迫していた
旗本内藤家は、江戸に屋敷をもち、大勢の家臣その他を養っているのですが、その内藤家の経費は、地方にある知行地からの年貢(米)によって賄われます。その知行地から年貢を徴収する同家「用人」がいるのですが、その用人が、貨幣経済の江戸の暮らしに追いつけなくて生ずる負債や旗本に課せられる軍役その他の負担を、「年貢増徴」や「先納金」で賄おうとしたのです。「先納金」とは、年貢を先に払う前借りというもので、旗本の名主・組頭・惣百姓への借金です。
各々持ち分の田畑を質に入れ、金子として上納せよ、その担保は、江戸表の内藤家が請けもどすというものでした。しかし、その期限も金額も明示されておらず、「先納金」とは名ばかりで、実際は旗本の踏み倒しです。困った名主は、その負担を、近隣の富裕層に、やがてそれも行き詰まると須恵村の修験、「正蔵院・宮本坊」が肩代わりしたのです。
修験「正蔵院・宮本坊」は、宗教界に守られています。武士世界とは一線を画しています。以後10年間にわたり、内藤家用人佐々木幸大夫と宮本坊との熾烈な駆け引きが、古文書に記されています。天明8年(1788年)内藤家は、用人佐々木幸大夫を更迭し、関東郡代役所貸付金を利用し、寛成10年(1798年)完済し、この争いに終止符を打っています。
内藤家の用人は、庄屋や農民を直接拘束し、責め苦を負わせる権限は持っていませんでした。個々の農民は、ムラによって守られていたのが、江戸期の農村社会の一般的な姿だったと思われます。ムラの自給自足がそれを可能にしたのでしょう。それは、明治になって、農村社会に貨幣経済が浸透し資本主義化してゆくとともに、ムラは崩れてゆきますが、それでも、戦後昭和20年代までは、農作業中心に、色濃ゆく残っていたことは、私個人の記憶にもあります。 (文責 井藤 和俊)
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