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[2020年10月号] 人物紹介 

記憶の記録 伝承人 坂本博 栄子夫妻


人物紹介  記憶の記録伝承人 坂本 博 栄子夫妻

 8月26日 熊日朝刊で、坂本博ご夫妻が「山車走る隈府繁栄の証し 江戸期の祭り 詳細に」との大見出しで、菊池市の民家で古文書を発見したとの記事を目にしました。

 日ごろから、菊池の庶民の日常の暮らしに目をむけ、お年寄りの話しを聞き、古い写真を掘り起して「記憶の記録伝承人」を自称されている坂本さんご夫妻ならではの快挙です。

 坂本博さんは、熊本県商工会連合会、菊池市商工会に通算42年勤められ、現在は奥様の栄子さんとともに、地域おこしの様々の活動に、関わっておられます。

 その活動の一部を紹介します。

坂本博さんが発見された、江戸時代の古文書「天明5年隈府町旧例通者御尋之儀ニ付申上覚」(古文書写真)は、ある方が持参された桜座の「株主名簿」に記載された方々の縁者を訪ねていた際、「その人は自分の曽祖父だ」と言われて持参されたアルバムの中に挟まれていた達筆な墨字で書かれた和紙だったのです。(写真左下)

その古文書を博物館の学芸員に解読してもらったところ、その学芸員から「これほどお祭りを詳細に覚書として差し出された文書は、他に例を見ない。大切に保存して欲しい」と添え書きされていました。

和紙には、祭りの起源は元禄時代に、菊池武光公の戦勝を記念して既に催されていたこと。天明5年の大飢饉で、幕府が贅沢禁止令を出して、細川藩では、郡代や惣庄屋を通じ隈府町旧例通物について、尋ねられたこと。祭りの起源、費用、山車(飾り・人数)服装などそれぞれについて覚書を提出したことが書かれていました。

山車は2階建てで天井は「格天井」、襖は「銀地に牡丹絵」で装飾され、大工は西寺の宮大工 儀八、水次の宮大工 次七 と覚書に記載されています。(※概要は8月26日付け熊日をお読みください)

坂本博さんは、菊池市のアーカイブ事業として、隈府町中心市街地や泗水町田島地区の戦前の古い写真や古老の話を記録として編集されています。老人会などでそのビデオを公開され、あの頃はそうだったと年寄りの間で話しがはずみ、喜ばれています。

奥様の栄子さんとともに、自宅に、昨年は昭和30年代まであった芝居小屋「桜座」と隈府中心部の通りやお店などを配した箱庭を市民に開放されています(箱庭写真下)。また年間通して、自宅の庭をオープンガーデンとして開放されています。(トップ写真)

坂本さんご夫妻は、菊池の地域の暮らし、庶民の暮らしに目を向けて、わずかに残された写真その他の資料、語り継がれた話など記憶を記録し、子や孫の世代に伝承してゆくことを

ライフワークとしておられます。それはやがて菊池の魅力の再発見につながり、子どもたちが菊池で生まれ育ったことを誇りに思うようになることでしょう。 (文責)井藤和俊


箱庭 写真中央奥 芝居小屋 桜座   写真右奥 熊本城  


講話 令和2年11月26日(木)19時 菊池市中央公民館 大研修室

   講師 坂本博・栄子夫妻 「古文書に見る『菊池・隈府』の繁栄(仮題)」

   ※菊池市図書館友の会例会にて講話 入場無料 マスク着用ください

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