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[2023年6月号] 古典への誘い「今昔物語集」

「鼻」と芥川龍之介  投稿 井藤和俊 

 「今昔物語集」は、聞いたことはあっても、読んだ方はあまりおられないでしょうが、芥川龍之介の作品、「鼻」や映画になった「羅生門」や、「芋粥」「藪の中」「六の宮の姫君」などは、「今昔物語集」の説話がその出典なのです。

 今昔物語集は平安時代末期(12世紀後半)に、

1千を超える話を集めた説話集です。

その説話も、全31巻中、第一部(天竺)インドの仏教説話、第二部(震旦)中国の説話、第三部(本朝)日本の説話で構成され、芥川龍之介が小説にしたのは、第三部の日本の説話からです。

 そのひとつ、「鼻」を紹介します。

「今昔物語集」では、巻第二十八 第二十節「池尾禅珍内供鼻語(いけのをのぜんちんないくのはなのこと)」が、芥川龍之介の小説「鼻」の原典です。

 「今昔物語集」では、「池尾に住んでいる禅珍内供(ぜんちんないく)という僧は、鼻が異常に長く、顎(あご)の下までだらりと垂れ下がっているので、食事の時は、長い鼻を弟子の法師に板をもたせ、鼻を持ちあげさせていました。童子が不始末したので、高貴な人にこんな不始末をしてみよと怒ったのですが、童子は、禅珍内供の目の届かぬところに来ると、ほかに、こんな鼻の人がおるものかと笑い、人々はそれを聞いて喜んだ」という話です。

 「今昔物語集」では、童の不始末と禅珍内供(以下 内供)が怒ったところで終わります。そこまでは、芥川龍之介の「鼻」は、同じストーリーですが、そのあとの続きがあります。

 (以下龍之介の「鼻」要旨)

 内供は、いろいろ試してみたが、どれも効果はありません。震旦(中国)から渡ってきた医者から、鼻を短くする法を教えられました。その教えは、熱い湯で鼻を茹で、足でその鼻を踏むというものです。それを繰り返すと、鼻が普通の長さにもどっているのです。

内供は満足しました。しかし、なぜか童子たちは、前より一層笑うのです。内供は、これなら鼻が長かった前のほうがよかったのにとふさぎこんでしまいました。

するとある夜、鼻がムズムズするので手をやると、鼻がもとどおり、長くなっているのです。内供は、はればれとした気持ちになりました。(終り)

 この後半しめくくりの反転こそ、権威(内供)に対する庶民(童子)の笑いと己もまた卑小な権威にすぎないと気が付く内供という、文学者(芥川龍之介)の人間洞察を表しています。

 「今昔物語集」は、平安貴族の世界と異なる、当時の庶民の生活と倫理感を読み込んでいる説話文学です。飢餓、戦乱、病に苦しむ生活の中で生きるために、強盗でも人殺しでもなんでもする、またそれに耐えるという庶民の強さしぶとさが語られています。

 貴族階級のほころび、人としての貧しさ、それをしのぐ地方の豪農武士階級の台頭を暗示している「今昔物語集」は、平安末期に、庶民が貴族階級に盲目的に従う時代は終わっていることを、現わしています。やがて、源氏平氏の時代なのです。

 

 出典「今昔物語集」 新日本古典文学大系(五巻)岩波書店 菊池市立中央図書館 蔵

 出典 芥川龍之介集  新潮日本文学 10    新潮社 菊池市立中央図書館 蔵    

 


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