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[2023年8月号] 花房飛行場史跡写真

 花房飛行場史跡写真

       給水塔

 菊池飛行場は、地元では地名をとって「花房飛行場」と呼ばれていた。大元は福岡県の大刀洗陸軍飛行場の教育訓練用の飛行場(写真右下)だったが、戦争末期には、特攻の中継基地として使用された。飛行場全体は、戦後開拓地として入植者が農地として開墾し、宅地として住居をたて、今はもう当時の「給水塔」(写真左)を残すのみである。

 花房飛行場で空襲や特攻で亡くなった少年飛行兵の慰霊碑(写真下)が、建てられています。

 

 元菊池飛行場入口に残された

 「菊池教育隊」門柱碑」

   飛行兵慰霊塔         

      少年飛行兵(十七期)慰霊碑

 少年飛行兵(十五・十六期)慰霊碑     少年飛行兵(十六期)慰霊碑


特攻に飛び立った飛行兵にまつわる逸話は、本号の記事として2編(「菊池市立泗水中学校発・世界平和への願い」・「花房飛行場の特攻隊の出征遺書」)掲載しています。併せてご覧ください。(文責 井藤和俊)


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78年目の8月15日を迎えました。 今年は、ロシアのウクライナ侵攻があって、核戦争のリスクを感じさせる夏になりました。 今号は、「菊池における戦争の記憶」として、菊池市泗水町で、戦争の記録や史跡を発掘保存に努めている「花房飛行場の戦争遺産を未来に伝える会」が取り上げている史跡・遺産(給水塔)、それを題材とする泗水中学校の教師生徒による紙芝居を紹介しました(泗水中学校発・世界平和への願い)。 そこで

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