[2019/10月号]中世を駆け抜けた「風雲菊池一族」が、今よみがえる ~深川湊の荷揚げ~

最終更新: 2019年10月1日

平安時代から室町時代後半までの約450年にわたって菊池地方に勢力を持った一族の物語




画・橋本眞也(元菊池市地域おこし協力隊) 解説・堤克彦(熊本郷土史譚研究所長・文学博士)


 この絵では、菊池川に玉名の高瀬湊からの積荷を満載した中型帆船が2艘浮び、その1艘から平太船で深川湊の桟橋に荷揚げする様子が描かれています。陸地側では藁苞を解き、陶磁器類特に高価な青磁器類の破損の有無を点検しています。この後は牛馬車や牛馬の背に載せて、深川の倉庫に収められ、さらに種別けと品定めを行われたと思われます。

 これらの牛馬は、高瀬湊からの船が着くたびに、周辺の村々から近くの「駄子地蔵」(菊池三十三観音堂第15番札所、延命山地蔵院、牛馬の祈祷所)の境内に集められ、陸揚げの品々を手分けして目的地まで運びます。特に高価な逸品は菊池氏館へ運ばれ、当主が献上・贈答・私用の三様に分け、南朝吉野・懐良親王への献上品や武光・重臣たちの私物、また南朝方の領主や武将との結束強化の贈答品とされ、その他は周辺の豪農・豪商にかなりの高値で売却されたことでしょう。

 陶磁器以外の積荷も上等で珍重な品は菊池氏館や雲上宮に運ばれ、その他は陶磁器とともに立石の隈府商家の店まで運び、その他は湊近くの「上市場」「下市場」で「三齋市」の市日でなくても見世(みせ)が開かれ、住民たちにも売られ、破損の陶磁器は深川湊の近くの一か所に捨てられました。深川の田畑からこれらの青磁破片(写真)を今でも採集することができます。是非挑戦してみてください。

 なぜ内陸部の深川で青磁破片が見つかるのでしょうか。懐良親王や武光・16代武政ら南朝方では、中国・朝鮮と私貿易を行い、成功すれば莫大な利益となり、南朝方にとっては重要な財源でした。しかし私貿易は必ずしも取引がうまく行くとは限らず、不調に終わった時などは海賊的な「倭寇」(前期倭寇)として、朝鮮半島の沿岸を襲撃し、また内陸まで深く入り込んで略奪行為に及びました。

 武光や武政らは「倭寇」活動の根拠地を肥後の高瀬・伊倉・川尻・八代などに設け、略奪した品々は高瀬湊に集められ、そこから「菊池川舟運」で菊池に搬送されました。この時期の私貿易や「倭寇」による品物は、中国産の銅銭・生糸・高級織物・陶磁器・書籍・書画などや朝鮮産の青磁・獣皮(虎・豹)・木綿・麻布・黒麻布・細麻布・白苧布・紅段子・絹・席子・満花席・人参・松子・葉拍子・米豆・焼酒・清酒・蒜・乾柿子・黄栗・銀鐘・銀盃・天鵝・銀魚・衣・鞍など(田中健夫著『倭寇・海の歴史』)などでした。おそらくこれらの品目のいくつかは深川湊でも陸揚げされたと思われます。

 正平二十四(1369)年に明の初代洪武帝は使者楊載を博多に送って、「征西将軍府」の懐良親王や武光・武政らに「倭寇」(前期倭寇)の禁止を求め、その後2回、都合3回も「倭寇」の禁止を要請する使者を送ってきましたが、「征西将軍府」はその要請を拒否し「倭寇」の禁止に応じませんでした。南朝方や菊池氏の軍資金などは「倭寇」の収益に依存、その禁止は南朝方の弱体につながりかねなかったからでした。(禁無断転載・使用)


           深川で拾った龍泉窯系青磁破(撮影 筆者)

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