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[2021年11月号] スライド写真紹介

  菊池渓谷 陸橋を望む

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 菊池川 七城リバーサイド 

コスモブリッジ下の河原の満開のコスモス                             

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        菊人形展      於 菊池市ふるさと創生広場

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中央 第12代菊池武時 左 第13代菊池武重 右 第15代菊池武光 の

「袖ケ浦の別れ」(元弘3年1333年)

 博多合戦に、足利方の少弐・大友軍に敗れた菊池武時が長男武重・末子豊田十郎(後の菊池武光)に菊池へ帰り、再起せよと諭す場面

 武重辞世の句 「ふるさとに今宵ばかりの命とも 知らでや人の我を待つらん」

 末子豊田十郎は、第15代菊池武光と名乗り、後醍醐天皇の子良懐(かねなが)親王を擁して勢力挽回し、征西将軍となり、九州に覇を争いますが、のち足利方の九州探題今川勢と一進一退の戦いを繰り広げます。

 その後の歴史は、本ホームページ11月号「友の会企画ご案内」の「菊池一族と今川了俊の戦い~水島・板井原~」に続きます。ご覧ください。 

 なお、菊人形を飾っている「菊池市ふるさと創生広場」には、菊池武光公の像が建てられています。(本ホームページ10月号「菊池一族解體新章」掲載)             

                   

      

              

                 

              

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令和7年西暦2025年も今月で終わりです。  今年は「戦後80年に思う」というテーマで特集をしてきましたが、取材の最中、健軍長射程ミサイル配備計画が公表され、自衛隊の在り方と市民の反戦意識との乖離を感じつつも、それを紙面に表わすことの難しさがありました。  また、高市総理、高市内閣誕生、公明党の連立離脱、維新の連立参加、高市総理の「台湾有事」発言など、一連のできごとは、日本の今後の行く末を混沌とさ

 
 
 

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