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[2025年06月号]本の紹介 「北御門二郎戦中日記」(1937-1945) 

更新日:6月2日

「北御門二郎戦中日記」(1937-1945)    齋藤雅子 編集   発行所 蕃山房
「北御門二郎戦中日記(1937-1945)    齋藤雅子 編集   発行所 蕃山房

 戦前兵役拒否者として知られ、戦後トルストイ翻訳家として著名な北御門二郎氏は、名前だけ知っていましたが、今改めて氏の「北御門二郎戦中日記」(齋藤雅子編)を図書館から借りたのは、彼の徴兵拒否の経緯を知りたかったからです。

 実はNHK朝ドラ「あんぱん」で、主人公のノブが女子師範学校の教師黒岩雪子の指導とノブが始めた出征兵士の慰問を新聞に大きく取り上げられたことから、ノブが軍国教師に変貌していくドラマの展開を見ていて、あのような社会全体の風潮のなかで、どうして北御門二郎氏は、徴兵拒否をできたのだろうかと思ったのです。


 「北御門二郎戦中日記」は、後日に書かれたのではなく、現実にその日その日の日記です。当時の政治的な事件に対する事実認識や本人の率直な感想、意見が書かれており、戦前の社会を知る第一級の資料です。なお、編集されているのは「1937年~1945年」です。


 本書(北御門二郎戦中日記)は1937年(昭和12年)1月1日から編集されています。前年(昭和11年)に2.26事件、その翌年(昭和12年)は、7月7日盧溝橋事件勃発し、日中戦争が始まっています。

この頃のことを北御門氏はこのように日記に記しています。

(昭和12年)七月十七日 飽くなき殺人者どもへのくる欲しき怒りで私の胸は搔き抉られる思ひ。だが實は彼等を憤る資格もない私なのだ。それ故「殺人者共」への憤りを「殺人」への怒りに代へなければならない。「殺人者共」の為に泣き、憂へ、基督に倣って「神よ彼等を許せ、彼等はその為す所を知らざれば也」と祈らなければならない。(P7)

昭和12年12月南京占領、13年4・5月徐州作戦を経て、帰還したある兵士の従軍談を、次のように書いています。

(昭和13年)五月十六日 門田上等兵の従軍談!何よりも私を驚かし悲しましたものは自らも参加した支那逃難民虐殺の光景を物語る時の話手のケロリとした顔色だった。「子供なんか突くより銃の台尻で殴りつける方がよっぽど早道だよ。私もあの時は七人殺した。額の所を突くつもりなのが頬をかすったりしてね!なかには押へつけて鶏のように首を掻き切ったりしていた奴も居たよ!」(中略)是等すべてが恰も自分の自慢の骨董品を人に見せる時の様な得意さうな顔つきで語られた。(P162)

 ここで言う、<飽くなき殺人者ども>とは、日本の軍隊、軍人・兵士を指しています。

北御門氏は、日中戦争は、中国への日本の侵略戦争であると明瞭に指摘しています。そして、彼は<人を憎むのではなく、その行為を憎め、その人を許せ>というのです。

北御門氏はクリスチャンで、トルストイ、カント、ショーペンハウエルらの思想的影響を深く受け、彼独自の世界認識をもって、非戦の志(絶対的非暴力)を秘めていました。

それが如実に問われたのが、徴兵忌避事件です。

 昭和13年4月24日の日記に、北御門二郎氏の徴兵拒否の経緯が書かれています。

(昭和13年)四月二十四日 事件がこのような結末を取ろうとは夢想だにしなかった。泰山鳴動して飛び出したものは鼠が一匹だった譯である。炯眼な当局が、今度の私の行動が明らかな兵役忌避の意思表明である事を見抜かぬ筈はなく、そして実際私は口に出してそれを云はうとしたのにまるで一言も言はせず病人として釈放したのは一体何故であらう。・・・私は全てを殉教者の苦悩と法悦とを以て迎えようと決心して居たのである。・・・だのに徴兵官は・・・恰も私が如何なる妥協も肯んじない頑固な非戦論者であることを毫も気付かぬ者のごとく。・・・「じゃ君は兵役には無関係にしとくから・・・」と云はれた時混沌が私の感情を襲った。(P148以下略)

 北御門氏は、4月21日人吉東尋常高等小学校にて、26歳で徴兵検査を受けているのですが、実は彼は、精神に異常をきたしているとの理由で、上記のような結末になっているのです。誰がどのように手を回して、彼を精神病者扱いにしたのか、この日記だけではわかりません。

 

(昭和18年)二月七日 独逸の旗色が悪くなりました。ナチスミリタリズムの終焉も近いような気がします。(中略)ミリタリズムが滅びたからと云って民衆が滅びるわけではありません。・・・尤も相手方のミリタリズムを仆した一方側のミリタリズムがどれ程その傲然たる支配をつづけるか問題ですが、(中略)いずれにせよ私はナチスミリタリズムもデモクラシーミリタリズムも皇道ミリタリズムもプロレタリアミリタリズムも全て大嫌いで、いずれが最後まで生き残らうともその生き残ったミリタリズムに対して闘ふことが私の道徳的な義務だと思惟します。(P517)
(昭和18年)六月十五日 いずれにせよ怨は怨をもって熄ませられない。勝ち誇るミリタリズム、臥薪嘗胆のミリタリズム・・・は飽くまでも生き残るであらう。(中略)弱者のミリタリズムを目を瞑って忍ぶ期が来なければならない。ミリタリズムが患者自身の苦しい負担となる悲しい病気である事を察して、愛と同情とを以て愚者に対する日が来なければならない。暴虐者たらんよりは如何なる暴虐をも敢えて忍ぶ覚悟が、ある人々乃至ある国々に醸成される日が来なければならない。その時始めて人類は“戦争制度”から解放されるであろう。(P546) 

 ここに、彼の非戦思想の核が示されています。彼の非戦思想は、今も通じる卓越した非戦思想です。北御門二郎氏の、非戦思想は、インドのガンジー(非暴力・不服従)にも通じるところがり、彼もガンジーを尊敬していました。

 

 むすび

 北御門二郎氏の日記は、まだ1945年12月31日まで続きます。

彼個人の思想的バックボーンは、キリスト教であり、トルストイなのですが、私はその両方とも疎いので、いちおうここで筆を置きます。

 彼が、国際情勢及び日本の軍事情勢を、当時の新聞ラジオ情報から読み解くことのできる優れたインテリゲンチアであったことが、彼の強固な信念を支えたことが、彼の日記から読み取れます。なお、彼個人の家庭の事情や大学中退、ロシア滞在、滝川元京都帝大教授との親密な交友関係など、私的な事情は、この「日記」には、詳しく書かれています。

印象としては、私たち凡人と変わらぬ人だったと思います。それゆえ、彼の強靭な思想信条には敬服します。

                        紹介者 井藤 和俊

 

 

 
 
 

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