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[2026年09月] 本の紹介「下流志向」

本の紹介 下流志向  内田 樹 著 講談社文庫

 最近日本の子どもたちがスマホでSNSに多くの時間を費やして、「勉強しない」、「本を読まない」との話をよく聞きます。

たまたま書店でこの本「下流志向」を見つけました。

副題は「学ばない子どもたち 働かない若者たち」著者は内田 樹氏です。

立ち読みしていて、この本に引き込まれました。

「学ばない子どもたち」とは実は「学びからの逃走」であり、「働かない若者たち」とは「労働からの逃走」の意であり、今の若者がなぜ「学びからの逃走」「労働からの逃走」をするのか。それがこの本の主題です。

 

 現代の子ども達は「家庭内の労働」(親の手伝い)が(電化により)消滅したことにより、最初から金さえあればなんでも欲しいものが手に入る「消費主体」の人生経験を積み、「等価交換」を要求します。公益の無償の行為は忌避されます。

勉強は何のためにするのか?何の役に立つのか?という問いが子どもから親や教師に投げかけられた時、進学、就職、昇進という立身出世の価値観が通用しない現代では、その答えでは子どもが納得しない時、「学びからの逃走」につながるのです。

 同じことが「労働からの逃走」についても言えます。この仕事が何の役にたつのか?この仕事に見合う処遇(賃金、役職)なのか?その疑問が膨らむ時、職を辞し、また別の職を探すという「青い鳥症候群」に陥り、「労働からの逃走」につながるというわけです。

 私は、なるほど、面白い指摘だと思いました。「学級崩壊」や「ニート」というのはこういうことだったのかと得心しました。


 以下はこの本を読んでの私井藤の私論です。

 そもそも、教育も労働も「等価交換」はありえないのです。

 教育はそもそも人として生きてゆくための本源的能力を獲得するための営みです。何かと交換取引する「もの」ではないのです。

 労働もまた、人としての暮らしに不可欠な公益の営みの一部です。その公益を成立たせる仕組みが、今「資本主義」であるというだけです。その資本主義のもとでは、労働が経営(資本)と等価交換では経営は成り立ちません。労働が生み出す利潤を資本がピンハネするから経営活動が成り立つのです。

 従って、「学びからの逃亡」も「労働からの逃亡」も、資本主義のもとでは、下層階級への階段を下りて行くことなのです

 私は、苦痛に耐えて学ぶことも、労働することも、人としての営みに不可欠なこととして受容し、苦痛を苦痛でないものとするのは、共同性の確認ではないかと思います。家族労働の原点を思えば理解できるとおもいます。

 災害ボランテイアに若者が積極的に参加するのは、等価交換とは非対照的な、公益の無償の行為に参加することです。災害によって破壊された共同性を取り戻す無償の営みです。

 ただし、共同性には、落し穴があります。家族という共同性は、地域、同業組合、自治体、国とその輪を拡大すれば、個人や家族の手が届かないという本質的な限界があります。逆により高次の共同性が、個人、家族の共同性を破壊することすらあります。戦争がその際たるものです。

 内田氏は、ここまで言い切っているわけではありませんが、本書のゆきつくところは、こういうことではないかと私が思った次第です。

 皆さんには、皆さんの読み方があると思います。考えてみてください。お薦めの本です。

                           投稿者 井藤和俊

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