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書評 北條民雄『いのちの初夜』

私にとって、ハンセン病は長いあいだ「教科書の中の出来事」でした。

かつて隔離政策があり、患者やその家族が差別を受けた。知識としては知っていました。しかし、それはどこか遠い過去の話でもありました。


その感覚が変わったのは、菊池恵楓園の歴史資料館を訪れてからです。

そこに展示されているのは、制度や政策の歴史だけではありません。その時代を実際に生きた人たちの暮らしであり、言葉であり、人生です。


その歴史の中には、ただ苦しんだ人々がいたのではありません。

そこで生きようとした人々がいました。


北條民雄の『いのちの初夜』を読むと、そのことが迫ってきます。


北條自身もハンセン病を患い、療養所で暮らした作家です。その作品には、外側から「患者」を描いた文章にはない、生々しい感触があります。病によって社会とのつながりを断たれながら、それでもなお生きようとする人間の姿が、読む者の前に立ち現れてきます。


読んでいて、私は石牟礼道子の文学を思い出しました。

もちろん、水俣病を描いた石牟礼と、ハンセン病を生きた北條では、その背景も文学のあり方も異なります。しかし、耐えがたいほど悲痛な現実を描きながら、その文章が単なる告発や記録にはとどまらず、不思議なほど文学として美しい。その点に、どこか通じるものを感じます。


悲惨なものを美化しているのではありません。

むしろ、人間が極限まで追いつめられた場所だからこそ、普段は見えにくいものが露わになるのだと思います。


人は何によって人間でいられるのか。社会から切り離されても、人はどう生きようとするのか。絶望の中でなお失われないものは何なのか。


そうした人間の「ほんとう」のようなものが、北條民雄の文章にはあります。


菊池恵楓園の歴史を知ったあとで『いのちの初夜』を読むと、教科書の中にあった「ハンセン病」という言葉の向こう側に、一人ひとりの生が見えてきます。

歴史を知ることと、文学を読むこと。その二つが重なることで、初めて見えてくるものがあるのだと思います。



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