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[2028年01月号] 本の紹介「昭和史」 

更新日:12 分前

                        投稿 井藤和俊

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昭和100年を振り返る~半藤氏「昭和史」より~ 

 安倍元総理殺害事件以降、日本の政治は混沌としており、菅、岸田、石破内閣を経て、高市内閣となっていますが、その高市総理が「台湾有事」発言で、日中関係の荒波が立っています。

国内世論は、覇権主義的な中国に対する嫌悪感から「中国に屈するな」との世論がSNSを中心に澎湃として起こっています。

中国・ロシア・北朝鮮の軍事的脅威が高まる中、日本のこれまでの安全保障の基本政策なかんずく専守防衛・非核三原則が揺らいでいます。

今後、日本がどのような道を選択するか?従来の保守革新の常識が通用しない時代を迎えています。

そのような混迷の時代に道しるべとしたいのが、「昭和100年」の歴史です。

なかんずく「満州事変に始まる太平洋戦争をどうとらえるか」「敗戦後の憲法改正をどうとらえるか」が、現在においても日本の針路を考えるうえでの手がかりになることでしょう。

菊池市立図書館の蔵書から、昭和100年を考えるに参考となる昭和史の第一人者半藤一利氏の「昭和史」を紹介します。

本書は、授業形式の語りおろしを本に編集したもので、読みやすくわかりやすい知性あふれる書です。


半藤一利著「昭和史 戦前篇(1926~1945)」

 戦前篇では、満州事変の経緯が詳しく語られています。満州事変と次のノモンハン事件は、太平洋戦争を通じての日本軍の欠陥を明かしています。

 昭和4年石原莞爾(当時関東軍作戦参謀)が満州を日本領土にする計画(関東軍満州領有計画)を立て、翌年参謀本部が「満蒙問題解決方策大綱」を作り、昭和天皇の武力紛争抑制の意向にもかかわらず、関東軍は昭和6年柳条湖爆破事件を起こし、板垣征四郎(当時関東軍高級参謀大佐)は、参謀本部・陸軍中央に無断で「張学良軍の攻撃」と偽って、第29連隊と独立守備歩兵第2大隊に進撃を命じています。これは、陸軍刑法では死刑にあたる「統帥権干犯」なのですが、関東軍は不問に付し、更に朝鮮軍を満州に越境攻撃させるなど既成事実を積み重ね、閣議決定をもって、天皇に黙認させているのです。

 こうして陸軍高級参謀らの陰謀で満州事変がはじまり、満州国樹立、国際連盟脱退、国民党軍共産軍掃討戦へと突き進み、ゲリラ戦に悩まされ、南京虐殺事件を引き起こすなどして、泥沼に陥り、太平洋戦争にまで戦火は拡大されたのです。

 満州事変を契機に、朝日や毎日などの新聞が、論調を転換させ、戦争賛美に変わり、国民の熱狂を煽りました。

 昭和11年2・26事件は、政治腐敗と農村窮乏に不満を抱く青年将校が、部隊を率いて武装蹶起した事件として、知られています。天皇の怒りをかった青年将校らは鎮圧され処刑されますが、世論は青年将校らに同情的でした。しかし、政党政治、議会政治は、以後軍の脅迫に屈服させられ、昭和15年大政翼賛会で息の根を止められます。

 昭和14年ノモンハン事件は、日本軍がソ連軍の圧倒的な戦車軍団に、銃剣の白兵戦で望み,軍は壊滅し、多数の死傷者を出した戦さです。第一線の連隊長7名全員戦死または自決を強要されたにもかかわらず、作戦指導した関東軍作戦参謀服部卓四郎中佐(当時)、辻正信少佐(当時)は、左遷されましたが、罪に問われず、間もなく太平洋戦争の中心参謀に復帰します。

 昭和15年、ヨーロッパで第二次世界大戦を始めたドイツ、イタリアと三国同盟を結び、16年12月真珠湾奇襲攻撃をもって「大東亜戦争」に突入しました。

 昭和17年6月海軍は、ミッドウエー作戦に空母4隻と熟練搭乗員多数を失う大敗北を喫しますが、その事実は隠蔽され、「大本営発表」がウソ発表の代名詞になりました。

以後、ノモンハン、ミッドウエーの教訓は生かされることなく、ガダルカナル、インパール、サイパン、特攻作戦、沖縄、広島長崎原爆投下と、多大なる兵士、民間人、現地住民(アジアの民)の犠牲を強いて昭和20年降伏したのです。

 (注)戦前の歴史から学ぶことは、偏狭な世界認識と主観的願望の情勢判断が、国の進路を誤らせるということだと思います。誰かを敵とみなす極論やフェイクニュースが飛び交う現代に、心したいことです。複数の情報回路を持ち、異なる意見にも耳と眼を向け、冷静な情勢判断することが求められます。


昭和史戦後編(1945~1989)

 押しつけ憲法と言われた「日本国憲法」制定の経緯が、詳しく紹介されています。

憲法改正について、昭和20年近衛文麿国務大臣(当時)の調査委員会と共に、国務大臣松本蒸治(東大教授)の「憲法問題調査委員会」(通称 松本委員会)が発足します。その頃、GHQ内で戦犯追及の話しが起こってきたため、近衛文麿の委員会の草案は立ち消えになります。

松本委員会は、天皇の地位を巡ってまとまらず、その間に天皇の人間宣言、公職追放が行われ、マッカーサーは、天皇に戦争責任はない旨、ワシントンに報告しています。また、この時期(21年1月)幣原首相とマッカーサーとの会談で幣原首相が「日本は軍隊を持たない。戦争をしない」と告げています。松本委員会は、その経緯を知らぬまま、明治憲法を踏襲するような天皇主権論の草案をGHQに提出します。これでは日本の民主化は程遠いと、GHQは、21年2月民政局に「天皇は国の元首の地位にある。国権の発動たる戦争は廃止する。日本の封建制度は廃止する」との三原則に基づく憲法草案を作るよう指示します。

GHQは、象徴天皇、戦争放棄、民主化の三原則の憲法草案を、日本政府に受け入れるよう強く迫ります。天皇を守るには、この草案を受け入れる以外になく、もし受け入れられないなら、日本国民に直接訴えると通告します。日本政府と議会は、GHQの憲法草案を受け入れることを承認し、21年11月3日「日本国憲法」公布翌22年5月15日施行となりました。

(注)今も、保守派からは「押しつけ憲法」と言われますが、実は、日本の為政者には、憲法を作る能力がそもそも無かったのです。仮に、国民投票にかけていれば、GHQの憲法草案が選ばれていたことでしょう。

  東京裁判は昭和21年5月開廷し、23年11月閉廷しました。

戦後編はこのあと、60年安保、高度成長期、沖縄返還と続き、昭和64年1989年で終わります。


(注) 「東京裁判は、侵略戦争を計画し、指導した者、戦争を防止しなかった者をA級戦犯としているが、そもそも侵略戦争の共同謀議などは無かった」との主張があります。その他、「南京虐殺は無かった」とか「従軍慰安婦はいなかった、ただの売春婦だった」とかの主張をして、歴史書の修正を主張する人がいます。

 彼等の言い分にも、一面の真実が含まれていても、日本が中国やアジア諸国に攻め入ったのは、やはり侵略戦争であり、その指導者軍部の責任は問われるべきことに変わりはありません。

 戦争や統治については、被害者と加害者との間の認識の溝は抜きがたいものがあります。また過去に遡って確認することも、困難です。不知は不知、不明は不明として残し、後世の判断に委ね、現時点の妥協をはかることです。






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