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[2022年4月号] 人物紹介 山下和貴氏

人物紹介 サンワハイテック 会長 山下和貴さん

~人を差別せず、平等に付き合う両親の生き方に学ぶ~

                      聞き手 坂本敏正 

(坂本)日頃より菊池の活性化に尽力されている山下和貴さんに、そのご活躍の原点は何かを、お伺いします。まずは、山下さんの生い立ちをご紹介ください。        

(山下)私は今年1月22日に古希を迎えました。

私を生み育てた両親は、満州開拓団(渾河農友開拓団)のリーダーでしたが、敗戦後満州から引き揚げ、花房飛行場跡地に入植し、昭和27年に私が生まれました。日の出から暗くなるまで働きづくめの両親のもとで、私は10歳違いの姉と共に、開墾の手伝いや牛・馬・豚・アヒルの世話等々、厳しい子供時代を送りました。そんな日々を送る中で「自分は、親の跡を継ぐのではなく、興味関心のある技術の分野に進もう!」との目標を立てました。

(坂本)少年の頃から自立の目標を立てられたわけですが、その後の社会人としての生き方についてお伺いします。

(山下)泗水中学校から、川崎にあるNECの専修学校へと進みました。そこで、専門的技術を身につけて九州NECに勤務しました。IT産業の発展と歩を合わせるように技術のプロとなり、南星電機を経た後、その高い技術力を、三菱電機に認められて「サンワハイテック」を創立しました。ITの心臓部である半導体を作る機械の製作で、経営の基礎が固まり、グループ総数250名を擁する会社に育ち、今年1月創立30周年を迎えることができました。

(坂本)今やIT産業界ではなくてはならない存在となった山下さんは、法人会の会長も務められておられますが、その内容をご紹介ください。

(山下)他に(有)有朋の里泗水代表、(一社)肥後おおづ観光協会会長、エアポートホテル熊本の社長などを務めています。また、隈府の街中に元の賑わいを取り戻したいと願う若手の活動を支援しようと、中心部にある所有地を「よかとこ広場」として提供しています。

(坂本)地域活性化に尽力される生き方の源は何でしょうか

(山下)人のため、社会のために役立つことをする、この信念の背景には、尊敬してやまない「両親」の存在があります。

昭和14年に、満州開拓先遣隊員として満州(現中国)に渡り、荒地を開拓する際に現地農民も共に指導して、肥沃な一大農地となしました。敗戦と同時に、支配被支配の立場が逆転し、日本人は現地人に襲撃されたり迫害を受けたりして、数多くの悲劇が起きた。そんな中、この開拓団は現地の人達が味方になってくれて、命も守られ、自分たちのためにこのままいて欲しいとまで言われた。そこでその思いに応えるために残留したことで、他の人達よりも帰国は2年も遅れました。

「現地人を差別することなく日本人と同等に接し、正直に誠実に生きてきた」その事が、現地の人々から命を守られるまでの信頼を生んでいた。これが私の生き方の原点となり、創業したサンワグループの企業理念も『共に学び 共に生長する』と、しています。

(坂本)すばらしいお話を伺いました。ありがとうございました。

                           



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