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[2025年12月号] 本の紹介「ハンセン病」

 

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 ハンセン病は伝染する病気として恐れられ、病気を疑われた人や患者は、たとえ治癒していても、本人はもとより、家族親族までをも差別されてきた歴史があります。

 そもそもハンセン病とは何か、治癒するにもかかわらず、なぜ差別されるのか?

 ハンセン病ゆえに、裁判でも差別され、死刑執行された「菊池事件」をご存じでしょうか?

 この問いに応える書物を2冊(菊池市立中央図書館蔵書)紹介します。

本の紹介

「ハンセン病とともに 心の壁を超える」熊本日々新聞社編 岩波書店

「人間回復 ハンセン病を生きる」志村 康 著 花伝社

                             投稿 井藤和俊

 皆さん「「菊地事件」をご存じでしょうか?

 殺人罪で死刑執行されたハンセン病患者の裁判について、平成13年(2001年)熊本地裁が憲法違反と判決し、国が謝罪した事件です。

 菊池で起こった殺人事件なので「菊池事件」と言われています。

その事件は、昭和26年(1951年)役場職員の自宅でダイナマイト爆発がおこり、その犯人とされたハンセン病患者が、10年の刑を受け、恵楓園内の医療刑務所から脱走逃亡していた時に、その役場職員が殺されたので、逃亡中彼が犯人と決めつけられ、逮捕され、地裁で死刑判決、高裁で死刑確定し、昭和37年(1962年)死刑執行されたという経緯です。

 私は、そもそもダイナマイト事件が彼の犯行なのか?彼が殺人犯だという証拠は、何があったのか?証拠調べが本当になされたのか、弁護士はどんな弁護をしたのか?高裁ではどんな証拠調べがなされたのか?等々の疑問がありました。                 そのために、私は上記2冊の本を、菊池市中央図書館から借りて読みました。

「ハンセン病とともに 心の壁を超える」熊本日々新聞社編 岩波書店

 この本は、ハンセン病患者がどのように差別されてきたのか、を明らかにしています。

 戦後間もなく昭和22年(1947年)に、ハンセン病の治療薬(プロミン)が日本にも入り、治る病気だと明らかにされたにもかかわらず、こともあろうに、昭和26年(1951年)ハンセン病療養所の三園長たちが、隔離政策を主張し、その結果「らい予防法」が昭和28年(1953年)制定されたのです。熊本では、同年患者の子どもが黒髪小に通学することを学校とPTAが拒む「黒髪校事件」が起こりました。

 この本では、熊本の黒川温泉宿泊拒否事件を題材に、差別の深層を問うています。

普段ハンセン病患者に同情しているように見えても、いざその患者が国や世間の秩序にたてつくと、とたんに手の平を返して、差別丸出しの罵倒を浴びせる経緯が明らかにされています。

「人間回復 ハンセン病を生きる」志村 康 著 花伝社

 この本は、ハンセン病患者だった志村氏が、ハンセン病というだけで、自分がどのような差別を受け、人生を翻弄させられたか、その中で国と戦うことを学び、「らい予防法」の撤廃をかちとり、菊池事件の死刑囚の救済、死刑執行後の裁判やり直しを求める「再審査請求」を検察に求める運動を記述しています。

 (注)著者 志村 康さんは、「再審査請求」の判決(来年令和8年1月)を待つこと

   なく、今年死去されました。  合掌


                             

 


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