[2026年03月号] 菊池歴史探訪
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菊池歴史探訪~阿蘇大噴火地層と古戦場~

菊池歴史探訪~阿蘇大噴火地層と古戦場~報告 2月22日 ウオーキング
井藤和俊
2月22日七城走ろう会ウオーキングクラブは、菊池歴史探訪~阿蘇大噴火地層と古戦場~として、菊池市七城町亀尾地区の史跡を訪ねました。一般参加10名会員8名計18名で、七城温泉ドームを9時15分出発し、昼12時20分温泉ドームに帰着しました。
阿蘇大噴火地層
馬渡城
馬渡城は、南北朝時代、菊池氏十八外城のひとつで、菊池川に近接し、七城町南地区(旧清泉村)の打越城と北地区(旧砦村)の台(うてな)城と連携し、山鹿方面に備えていた砦です。馬渡城は古墳時代中期の前方後円墳でしたが、今は削られて円墳状態で、弥生土器の破片が残っています。本山さんの宅地内にあります。
長明寺坂
林原交差点、梶迫バス停から田島方面に登る坂道は、明治以前は「椎持(しいもち)往還」とよばれ、合志・泗水から田島を経て七城加恵から鹿北町へ抜ける道路で、田原坂・野々島で敗れた薩摩軍が、大津方面への退却する部隊から分かれて三々五々隈府へ退却した道路です。
梶迫阿蘇大噴火地層(梶迫公民館裏)
梶迫公民館の裏の登り坂の壁面には、阿蘇大噴火地層が見られます。9万年前の阿蘇の大噴火の花房層とその上の阿蘇火砕流の軽石と火山灰の層(阿蘇―4)更にその上の湖(茂賀の浦)でできた山砂の林原層、またその上には、鹿児島の火山灰の層と4つの地層が見られます。
遠慶寺・碧巌寺
亀尾地区の板井の浄土真宗「遠慶寺」、同じく前川の「碧巌寺」(曹洞派)は、戦国時代初期・中期に建立され、加藤清正が土地を寄進しています。「碧巌寺」には、建立者の菊池為国公の画像があり、県指定文化財です。庭の泉水は室町時代の特徴を残す「室町風心字形」の池です。
前川阿蘇大噴火地層(前川水源上り坂)
亀尾城に登る坂道に沿って、「阿蘇大噴火地層」が見られるヶ所があります。
この地層は、下部は花房層ですが、その上は林原層(砂礫層)が乗っていて、梶迫の地層にあった(阿蘇―4)の軽石と火山灰層が欠落しています。花房層の上に堆積していた(阿蘇―4)は、湖(茂賀の浦)の水の流出により押し流され、その後に流れが無い山砂の林原層が堆積したという地学では「不整合」と言われる地層です。
亀尾城

南北朝時代、15代菊池武光公(菊池市民広場の騎馬像)のあとを僅か12歳で継いだ17代菊池武朝公が、足利幕府九州探題今川了俊その弟仲秋と、熾烈な戦を繰り広げた古戦場亀尾城(板井原)は、七城北地区(旧砦村)の台(うてな)城と並ぶ要衝でした。
板井原は、天寿3年(1377年)今川仲秋が2万の軍勢で布陣し、以後天寿5年、元和元年(1381年)亀尾城を攻めます。最後は今川が亀尾城を落とし、隈府城を兵糧攻めと 菊池平野が一望できる亀尾城 昼夜通した猛攻で落城させたという古戦場です。
沢村五輪塔・キリシタン灯籠

初代は戦国時代細川家の足軽として姉川の戦で功をたて、その後天草の乱で功績があり細川藩で家老職にあった沢村家の4代目沢村友短が知行のある前川(七城町)に居住し、茶道に精通した風流人と伝えられ、五輪の塔が建てられています。地元では「沢村さん」と呼ばれ親しまれています。
その五輪の塔の左脇にキリシタン灯籠と言われる石灯籠がありますが、その経緯は不明です。


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