紫草~1300年前、奈良時代に菊池台地に自生していた絹の染料「菊池・むらさき草」の栽培と染色にチャレンジ、今、蘇る!
紫草の花 菊池の記憶の記録伝承人 坂本博
菊池市図書館友の会 会員
1,絹の染料「菊池・むらさき草」に関する書籍発見の経緯
私たちが住む菊池の歴史は、平安時代の1070年に藤原則隆公(初代菊池則隆公)が
下向されて以来、あと40数年で1000年となります。同公が下向される前には、さらに100年の歴史がある。その頃の菊池が知りたくて、20数年前から菊池市や近隣の図書館、県立図書館巡りを始め、その中で、菊池むらさき草に出あった。
泗水町史「奈良平安時代の染料『むらさき』が自生していた。根は薬用。干して紫色の染料とした。万葉集に『詫摩野に生きふる紫草衣に染めいまだ着ずして色に出にけり』の歌われるほど有名であったことを意味する。今ではほとんど自生を見ることはない。」
上記「むらさき草」に関することをさらに知りたくて検索すると、次の記載があった。
・聖徳太子が着物の色で身分を表わした「官位十二階」を定め、その一番高貴な色が「濃紫」である。
・奈良の平城京跡の発掘で肥後国から納めたと記した「木簡」が出土。
・奈良の正倉院には「紫の布切れ」が保存。
・専門家の文献によれば、菊池台地(泗水、大津、合志、詫間)などの荒れ地に自生。この地に適していたと思われる。今は絶滅危惧種。
・むらさき草は水分を嫌い、半日日当たる処に自生する。根は薬用になる。干して染料とした。現在は貴重品である。
・大分では栽培に成功し、「紫 神社」創建されている。
2,菊池の歴史には「絹」に関する記述
① 江戸天明5年(1785年)「隈府町旧例通物尋之覚」
『隈府町に山車12台、2階建て山車正面に「操り人形」格天井で内外3方「銀地に牡丹」周囲は「赤い欄干」「行列のお供のハッピが“絹”』(別当 中嶋伊次郎古文書)との記述。天明大飢饉の時代なのに菊池は豊かだったことか
② 大正2年3月15日高江~隈府「菊池電車」開通
乗合馬車で菊池熊本往復7時間貨物馬車15~6時間を要していた菊池郡にとっては、
輸送力の強化は不可欠の課題であった。
明治41年菊池郡収繭1万石突破大会で、郡内各町村の共同事業として軽便鉄道敷設が決議された。沿線有志が株を負担し、資本金30万円でスタートした。(明治42年)
社長 隈府の岡山謙吉氏、取締役 泗水町長 斎藤長八氏。
3,「菊池むらさき草」の栽培から染色の取組の状況
① 平成15年5月から現在(令和6年)まで
「菊池の歴史」に関する聞き取り調査及び古写真の保存活動にとり組んでいる。
当時90歳以上の対象生まれの方々を訪問し、記憶の記録するとともに、合併前の4市町村の各市町村史及び県立図書館を調査した。市民から提供された900枚の写真を保存した。紫草に関する資料も、このなかで収集した。
② 令和5年、当時東海大学の村田達郎教授(菊池市隈府在住・旧村田染物店)に、菊池に「むらさき草」が自生していたことを伝えたところ、全国で栽培中のむらさき草の「種」を譲り受けられ、自宅の畑で栽培し、紫根の収穫に成功された。
菊池農業高校も試験栽培にチャレンジし成功している。
「種」と「紫根」の収穫を受け、菊池、泗水、七城、旭志の方々から栽培、染色の関心が寄せられ、高齢者から若者まで輪が広がっている。
③ 令和6年2月7日京都大学で開催された「国際文化政策研究交流集会(次世代に繫ぐ文化資本と地域づくりの展開)」に発表者として招かれ、壇上で若者と高齢者の活躍、中学生のむらさき草講話の感想文を発表した。
④ 令和6年2月15日菊池「むらさき」草(第1回)全体説明会開催 47名参加
村田教授より種まきや染色に関する詳しい説明がなされた。
若い女性たちは、合同で染色作業をしようとラインでネットを作るなど、栽培者はそれぞれの地区の賛同者を募るなど、広がりを見せている。
⑤ 平成6年2月29日熊日新聞で「紫草」で染色復活 町おこしを」「絶滅危惧種指定、市民ら栽培の輪広げる」のタイトルで県下一円知ることとなった。
⑥ 令和6年3月4日旭志のグループが旭志の川辺コミュニケーションセンターにて染色にチャレンジし、見事「うすいピンクがかった紫」と「濃紫」の染色に成功した。
染色、「紫根の量」「お湯の温度」「染色時間」「椿灰の量」などを記録した。
椿の生木から灰を作る実演もあり、休憩では手作り団子とお茶で、栽培談義、活発な質疑応答がなされる盛況だった。
⑦ 令和6年3月19日昨年栽培成功し、種の収穫(1000粒)を見ずに浸し、冷蔵庫で1ヶ月保存したものを黒いポット(45cm×30cm)に訳200粒、種まきを享受の指導のもと、17人(内 作付け希望男7人女7人)が手ほどきを受けた。
⑧ 今後の予定 会則策定、事業計画、収支予算書計画、連絡網などの組織化を協議中。
4,付言
まちづくりは「行政の縦糸」と「市民の横糸」が絡みあう必要があります。それには「市民相互に知り合う」ことが不可欠です。「今、新しい“風”が興りつつあります。人が人を呼び、住民自らが自発的に動き、老若男女が参集しています。
菊池“それぞれの歴史や文化、伝統”を知り、磨き上げ、他の真似ではなく“菊池らしさ”に拘ることです。
1300年前からの“贈り物”「むらさき草」は本物です。「本物は続く、続ければ本物になる」ことを信じます。合言葉は「夢があるから頑張れる」と「楽しくなければ続かない」です。
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