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[2025年05月号]本の紹介 2025年新書大賞「なぜ働いていると 本が読めなくなるのか」

 「なぜ働いていると 本が読めなくなるのか」  三宅香帆著 集英社新書



なぜ働いていると本が読めなくなるのか
なぜ働いていると本が読めなくなるのか

かなり以前から若者が本を読まないと言われていましたが、一昨年からは、本が売れない、書店本屋が潰れた、総合雑誌が廃刊した、出版社が廃業したというニュースを見かけるようになりました。

インターネット、スマートフォンのせいだろうか?と思っていましたが、本書「なぜ働いていると 本が読めなくなるのか」は、その疑問に一石を投じた書です。


明治、大正、昭和(戦前)、戦後間もなくまでは、「読書」は「労働」の質向上に不可欠なものでした。

欧米に比肩しうる国づくりには、国家企業の指導層(エリート知識人)とその指導を現場に活かす中間層(ホワイトカラー・技術者)及び現場で働く労働者階級を、急速に大量に育成するために、教育が不可欠であり、とりわけエリート層の育成には、欧米文化を学ぶ「読書」は不可欠でした。

庶民にとっても、「立身出世」には、学校教育とともに、「読書」による「教養」もまた、人格陶冶に欠かせないものでした。

昭和に入ると、それまでの国・政府の政策主導から自立した出版業界主導の商業主義的販売戦略がサラリーマン層を購読者として獲得します。文学全集などの円本(1冊1円)ブームです。


 戦後昭和20年代(高度成長期以前)は、敗戦により国民全体が貧しく、読書や図書館は、二の次三の次でしたが、30年代に入り、高度成長期に入ると、地方自治体は、「箱物」ブームで、図書館の建設が相次ぎます。

同時に、この時代は映画、テレビという娯楽が普及し、本は、教養書からサラリーマンの手軽な読み物が好まれるようになります。

この時代までは、労働と読書は社会的地位上昇の共存関係にあったのです。


以上の推移は、同時期を青年期で過ごした私は理解できますが、以下の「なぜ働いていると本が読めないのか」は、私としては、むづかしくてわかりにくかったので、私の意訳で紹介します。


70年代オイルショックとインフレが高騰したこの時期を乗り切ったのは、日本の雇用制度(終身雇用・年功序列・企業別労働組合)によるものでした。

80年代バブルの時代、大学進学率が高くなるとともに、学歴よりもコミュニケーション能力が重視されるようになり、「教養」はもはや「労働」に貢献しなくなりました。


 そのバブルが崩壊し、労働環境は激変しました。就職氷河期です。新自由主義、規制緩和の名のもと、企業優遇の施策は、非正規雇用、低賃金、深夜労働、変則勤務を拡大させ、若者や勤労世代は、厳しい労働環境と、絶え間ないIT技術革新に囲まれ、「読書」の余裕を失ってゆきました。

著者の言葉を借りれば、(専門書以外の)「読書」は「労働」のノイズ(余計なもの・雑音・ゴミ)となったのです。


 さすがに、低賃金、長時間労働、苛酷な営業ノルマは、労働者を死に至らしめるほどのものであることが表面化し、働き方改革が叫ばれるようになりました。

働き方改革は、おりからのコロナ大流行による自宅オンライン勤務、副業奨励、フリーランス等を公認したのですが、結果としては、24時間全身全霊「労働」に奉仕させているのです。

新自由主義社会は、それに対して「自己責任」という言葉を投げつけます。その先は、うつ病や燃え尽き症候群など心の病が待っているのです。


 そこで登場したのが、「スマートフォン」です。労働環境の悪化で生ずる内心の不安を表面的に除去してくれる「情報」を得るのに、好きな情報を選択して提供するスマートフォンは、実に手軽で便利な玩具です。個人で情報発信でき、誰とでも、未知の人ともつながることのできる

SNSは、若者勤労者には手放せないツールとなりました。

しかし、スマートフォンが与える情報は、思考に裏付けられた知識ではありません。

むしろ、SNSを通じた誹謗中傷が自殺者まで生む社会となり、若い世代未成年への影響は、読書環境を著しく悪化させています。


 著者は、その解決策として「半身社会」を提唱します。(以下は私の解釈です)

心身の病を回避するには、新自由主義の「自己責任」の呪縛から解放される必要があります。

「全身全霊」仕事漬けになるのではなく、半分は仕事から離れる心、時間、体の余裕が必要なのです。著者はそれを「半身社会」と名付けます。その「半身」は仕事以外ならなんでもありです。「読書」もそのひとつの選択肢であって、他の趣味や娯楽、スポーツ、家事、本業と無縁の違う「仕事」でも良いのです。

半身とは、仕事や家事や趣味やさまざまな場所に「労働」以外に、自分の居場所をもつことです。「読書」はその居場所探しに様々な情報を与えてくれます。生き方のレパートリーをひろげてくれるのです。それが「読書」の良さです。


私の意訳が著者の言わんとするところに合致しているか、わかりませんが、この本を読む価値はあると思い、紹介しました。

                            文責  井藤和俊


 
 
 
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