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[2025年8月号] 遺稿「戦争体験記」


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「戦後80年特集」 

 戦後80年を経て、戦争体験者が少なくなってきましたが、しかし、彼等は何等かの形で、後代の人々に戦争に関わるメッセージを遺しています。

著者 西口 実氏は、3回召集され、中国大陸で戦闘に参加されています。

この度「戦後80年」の特集として、(故)西口 実さんの

ご家族から、遺稿を提供いただきました。


遺稿  戦争体験記         西口 実 

戦争とは国と国の喧嘩であり、人と人との殺し合いなのである。どんな訳でよその国と戦争するのか?そんなことは偉い大将や大臣さん方が決められるのであって、我々下々の者は赤い一枚の召集令状によって、お国のためとばかり家を捨て、親兄弟・姉妹・妻子に別れて、生きるか死ぬかの戦いを続けるのである。

 この度の第二次世界大戦に、私は前後三回も参戦しましたが、第一回の支那(中国)との戦争は二年八カ月、北支から中支へと大小幾十度と転戦しましたが、幸に武運に恵まれ、一度も負傷・病気もすることなく、大いに手柄を立てたということで論功行賞では、武人の名誉である金鵄勲章を授与されました。

 別の見方をすれば、大いに敵をやっつけた言わば公認の大殺人罪を犯したとも言えます。

敵弾雨あられと飛び来る中、命をかけての前進、炎暑の野に、酷寒の山上での戦闘、一つの城を奪えば次の敵陣へと幾十何百キロと、道なき山野を、或は雨降りしぶく泥濘の中を歩いて大移動、どんなに苦労、きつかったと話したとて、又書きあらわせず実際体験せねば分からぬ辛さである。

 一つ一つの戦争ごとに味方の兵も負傷し、戦死者も次々と出る。砲弾で頭を割られた者、片手、片足をもがれる人、鮮血に染まって目もあてられぬ惨状であるが、戦場のこととて気が立っているので、「友人の仇」とばかり、更に敵愾心を燃やして奮戦するのである。

 一戦済んで暇があれば戦死者の火葬をして簡単な葬式が行われる。友達の骨を拾う度毎に「明日は自分の蕃で骨を拾われるのではないかと思ったものである。そして何とはなしに神社もお寺もない戦場での目に見えぬ神や仏に、我が身の加護無事を祈ったものでした。

 一番精神的に辛かったのは、いつまで戦地に居らねばならないか、懐かしい日本、我が家へいつ帰れるか、全く解らぬことでした。言わば無期懲役の囚人同様です。

戦地で三回の正月を迎え、二年八か月振りで生きて元気で日本の土を踏み、我が家の門を潜った感激、その喜びは、終生最大のものでありました。

 約五十年前の二十六才の春、昭和十五年三月家に帰って家業に働くこと一年余り、十六年八月には、再度の赤紙(ばばがみ)が参りました。

 今度は戦争することはなかったが、旧満州国(中国)のハイラル付近で、黒竜江を境にした向こう岸はソ連邦領であり、ソ連兵と対峙しての軽微勤務であった。

又来る日も来る日も射撃の練習、剣術の修練に励み敵をやっける戦術の勉強・演習に明け暮れたものでした。

 此処での一番辛かった体験は零下四十度を超ゆるという想像を絶する酷寒であった。こんな寒さの中でも戦争は行われる訳で、一日たりとも前記の練習や稽古を怠ることはできません。「治に居て乱を忘れず」「備えあれば憂いなし」の格言があるが、何のことはない、人殺しの勉強をしている訳で、これが戦争の実態と言えましょう。

何時帰れるか分からぬ無期懲役の生活も、二度の極寒を迎へずして翌十七年十月無事に内地に還ることができました。この頃は内地に於いても敵機の来襲あり、「一億総動員」の合言葉で食糧増産に励み(小中学生も田植え、稲刈りに農家に手伝いに行った)軍艦、飛行機、銃砲、弾薬などの生産工場に男女を問わず徴用されて携わるなど完全に戦場化しておりました。そして次々に戦えど戦えど負け戦ばかり、アッツ島、硫黄島で全員玉砕、沖縄島も陥落し、いよいよ追い詰められて敗色も憂慮される二十年四月三度目の出征をする。

薩摩富士と呼ばれる鹿児島県の開聞岳を望む薩摩半島一帯を米軍の本土上陸に備えての防御陣地作りに、山という山はそれこそ穴だらけの防空壕堀りが毎日の仕事で、弾一発うつことも  なく、戦争とは言われぬやも知れませんが、敵機の空襲は毎日あって爆弾投下や機銃掃射に、我が方は応戦する飛行機も無く、射撃する弾丸もなく防空壕に入ったり出たりが精一杯でした。

 八月六日・八日広島・長崎に原始爆弾が投下されあまりの悲惨さに急転直下、天皇陛下の聖断が下り、八月十五日無条件降伏終戦と相成りました。

 「国敗れて山河あり」と申しますが、朝鮮、台湾、樺太その他の領土を失い、幾百万の人柱の血潮をながしておりますが、これも、世界中を相手にするなど馬鹿な戦争への戒めであり、尊い代償とも言えましょう。

 お互い個人的には何の恨み憎しみもないのに、殺し合わねばならぬ戦争、こんな馬鹿なものがあるでしょうか。

百害あって一利なき戦争、絶対二度とあってはならぬ、起こしてはならぬものです。欧州の方では局部的に戦争の絶え間もありませんが、日本では有難いことに終戦後四十年も平和が続いております。

願わくば、全世界の国々が武器弾薬を捨て、軍備に費やす財力を他の方面に使用、共存共栄で友好を深め、戦争放棄で世界平和を維持してゆけたらと叶うべくもなき夢をひとり描いている。  







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