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[7025年09月号] 「小さな引揚者の体験」

「小さな引揚者の体験」講話を通して         坂本 玲子


 小さな引揚者だった自分の体験を通して、平和へのバトンを若い世代につなげたい思いで中学3年生に講話を始めて、七年が経つ。

講話の内容は、私が生まれた満州は、中国の東北部に日本が一方的に作った国だったため、敗戦と同時に大混乱に陥った、しかも、ソ連(現・ロシア)軍は、敗戦前の8月9日に、日ソ中立条約を破って満州へと侵入、私の家にも略奪にきた。2歳2か月だった私も、ロシア兵に銃を向けられ、それは恐怖の原体験となった。引揚船で目にした「水葬」の光景は、今も脳裏に焼き付いている。

敗戦と引揚げの過酷さは、様々な悲劇を生んだ、中でも残留孤児と言われた人達の事を話し、ポイントポイントで、40年前に出版された写真集「小さな引揚者」からの写真を見せる。生徒達は、一目でわかる引揚げの様子に「自分だったら耐えられただろうか」と、自分に問いかけたことが、感想文に書かれていた。そして、教科書では一行で済まされているその裏に、想像もつかないような出来事があっていたのか!と驚くものの、講話を始めた頃の感想は、やはり戦争は遠い過去の出来事で「大変だったのだなあ」といった感想が多かった。

3年前のウクライナへのロシアの軍事進攻、その事をテレビニュースで知った時、自分でも戸惑う程不安定になってしまった私だったが、それは何故だったのか・・・だんだん分かってきたのは、幼かった私が味わった恐怖は、記憶としてだけではなく、身体に沁みついていたのだ!ということだった。

新聞テレビの報道で知る、ロシアのウクライナへの侵略の様相が、生徒達が、戦争を現実のものとして捉え始めたきっかけとなった。

戦後80年にあたる今年の講話では、戦争をまさしく自分事としてとらえた感想がいくつも寄せられた。

○ 戦争は昔の事だと思い、習って意味はあるのかと思っていたが、講話を聞いてやっぱり戦争は人を狂わせるものだと思った。

○ 戦争を自分事として考え、どんな理由があっても絶対にしてはいけない、させてはいけないという事を、心に留めて生活していきたい。

○ 特攻隊員だった曾祖父は話したくないと言っていたらしい。祖父母に詳しく聞こうと思う。

○ 自分達はまだ子供で出来る事は少ないけれど、戦争の事などを必死に学ぶ事が、今すべき事だとわかった。

そして「自分達は、直接戦争の話を聞ける最後の世代。戦争はダメだ!と伝えていきたい」と書いた生徒が何人も。そして「私は中国人ですが、本当に感動した。私もこの話を次の世代に伝えたいと思います」と。

微力ではあっても、平和へのバトンをこれからも渡し続けていきたいと思っている。


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